2007年11月18日

なぜ『桜序曲』ではなく『桜抒曲』なのか

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CLANNAD remix album-memento-【AA】の最後のトラックに収録されている『桜抒曲』。
なぜ10分超もの曲になったのか、これが誰のための曲なのかは歌詞カードで樋口秀樹さんが解説しています。が、なぜ、『桜抒曲』なのか…。


この手のネタは結構あるのですが、多分需要がどこにも無いでしょうね…。
割とどうでも良いことについて話してるので忙しい人はスルーしといてください。


リスペクト麻枝准のメンバーの1人からこのような質問を受けました。


何故、『桜序曲』ではなく『桜抒曲』なのか。
『广(家を意味する)+予』では無く『手+予』であるのか。
で、やはり、これもどちらかというよりダブルミーニングでは無いかと。
普通の『序曲』つまり、始まり、前触れの意味を含みつつ、『抒曲』つまり、思いを表現する曲ということで。
また、のびやかであるという『予』を渚にみたてれば、广(家)にいれた『序』は渚の学校卒業→家庭へを表していて、『抒』は手を差し延べる→『小さなてのひら』へ、つまり汐の出産と繋るのかなぁと。
内容に対しては新しい生活(また出産)への『序曲』であり、メタ的(つまり曲だけでとらえる)には『小さなてのひら』に対しての『序曲』であると。

とこんな感じを適当に考えてみたのですがいかがですか、
サークル代表である枕さんがみるところでは。
(もしかしたら、枕さんにとっては『何をいまさら』なのかもしれませんが)


はっきり言ってしまうと、作詞をした樋口さんにメールで質問するのが一番早いのですが、私なりの解釈をまとめると以下のようになります。


時間軸的には、小さなてのひら→桜抒曲で、桜抒曲で描かれてる汐はかなり成長していると考えています。
根拠は、小さなてのひらの歌詞は基本的に未来形であるのに対し、(ex.「いつからか」「 いつか来る日は」「あの春の歌」「いつの日か」「やがて来る日は」)
桜抒曲の歌詞は現在形で、過去を振り返る場面もあります。(ex.「遠い記憶に想いをはせる」)

こう考えると、桜抒曲は、成長した汐が過去を振り返っていると考えるのが一番自然でしょう。
「荒れ果てた草原」「まっ白な世界」などは幻想世界の事で間違いないでしょうし、
「願いがかなう場所で…略…その時はきっと春の風が吹くだろう」
は、CLANNADのエピローグの事でしょう。「春の風」は(は~りぃすたーふぃっしゅも流れるし)風子の事でしょうね。
小さなてのひらで、「やがて来る日は新しい季節を開いた」とありますが、この「やがて来る日」は桜抒曲で無事に迎える事ができた。と解釈できれば嬉しいですね。
ただ、歌詞カードで樋口さんは「この曲は誰のためのものでもある」と仰っているので、汐だけじゃなく渚、朋也その他のための曲でもあるのですが。

と、ここまで考えると、質問者の
>>『序』は渚の学校卒業→家庭へを表していて
ここから後ろは成立しないのでは。
というのが私の意見です。


以上です。

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-memento- CLANNAD remix album
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以下は彼に返信した文章の原文です。
内容は上とほぼ同じです。


樋口さん曰く、
>物語は、また二人で旅に出ようとしたあの冬の日から始まる。
とあるので、出産への序曲というよりは、渚、朋也、汐たちのこれからの物語の曲ではないかと考えます。

また、「抒」に関しては、樋口さんが「汐に対して自分でエピローグを書けばいい。幸い、それが出来る立場にある」と仰っているので、やはり「抒情」「抒懐」などの(思いを表現する曲)意味での「抒」がかなり多くの割合を占めているかと。

>『抒』は手を差し延べる→『小さな手のひら』へ
これは成立してるとすごく面白い仮説だけど、「抒」には手を差し伸べるという意味は無ようなので、残念ながらここまでの意味は無いかと。

「抒」そのものは、心中の思いを押し述べて展開するとか、ゆるめるという意味しかないし、「手偏」は、手や手を使う動作に関する事で、「差し伸べる」意味は持っていない。「予」はあるものを押し出して伸ばすさま。「抒」は「手+音符子」で、あるものを手を使ってのばす動作を示す。「抒」と同系の単語は「除」(押しのける)・捨(ゆるめる)。最も近い意味の単語は「叙」(のべる))

「差し伸べる」という意味にごだわらなければ
>『小さな手のひら』に対しての『序曲』
という風にとれなくもないと思う。

ただ、ここで重要になってくるのが、「小さなてのひら」が(時間軸的に)先か「桜抒曲」が先かという事で、
小さなてのひらにある歌詞「 包まれて眠れ あの春の歌の中で」「 やがて来る日は新しい季節を開いた」
と、 「桜抒曲」の歌詞「その時はきっと春の風が吹くだろう」「あの場所へ運んでゆく 新しい芽吹きの風が 春の風が」
を見る限り、小さなてのひらの後に桜抒曲ではないかと思うのですよ。

小さなてのひらでは、「(冬である現在にあって)あの春の歌」「やがて来る日は」と、未来形であるのに対し、
桜抒曲では曲の中盤で、サビの後に「その時はきっと春の風が吹くだろう」という歌詞があり、
更に曲のラストで、サビの後に「あの場所へ運んでゆく 新しい芽吹きの風が 春の風が」という歌詞がある。
ということは、最後には「春の風が吹いた=新しい季節が開いた」という風に捉えることができそう。
つまり、小さなてのひらの「やがて来る日」は、桜抒曲で無事に迎える事ができた。と解釈したいところ。

ここまで考えると、○○さんの
>『序』は渚の学校卒業→家庭へを表していて
この辺りから後ろは成立しないのでは。
というのが私の意見です。

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